王賁は、信や蒙恬と切磋琢磨しながら「天下の大将軍」を目指す将軍です!
そんな王賁は実在の将軍でした!
大きな功績を残しているにも関わらず、戦歴以外のことはわからないことが多く、
いつ、なぜ亡くなったのかもわかっていません…。
王賁はどのような最期を迎えたのでしょうか?
本記事では、王賁の史実の功績をご紹介すると共に、王賁の最期について考察していきます!
キングダム:王賁(おうほん)はどんな人物?
最悪の第一印象!
星7王賁のお陰でフレンド対戦が更に作業になって草です pic.twitter.com/FAlu0aFIbp
— イセリア ・クイーン (@ethereal_kanki) February 8, 2022
初登場は第17巻 第180話『前哨戦』でした。
この時の王賁と玉鳳隊の印象は最悪そのもの…!(笑)
飛信隊を初めて見た王賁と玉鳳隊員は、農民のみすぼらしい姿を見て大笑い!
同じ三百人隊でも、幼少期から英才教育を受けてきた自分達と、
農耕を本職とする戦の素人である飛信隊は全く違うと飛信隊を見下し、バカにします。
最も腹立たしかったのは、王賁が番陽副長に言わせた「全員気をつけェ!!」でした。
番陽副長に「全員気をつけェ!!」と言われた飛信隊のメンバー達は
反射的に「びしっ!」と気をつけをしてしまいます。
武功を積み重ね、自身をつけてきていた飛信隊でしたが
ここで百姓と騎士族の差を思い知らせてしまうのでした。
↓飛信隊に関する記事はこちらから↓
キングダム:1万5千人隊になった飛信隊!最新の組織図を元に飛信隊メンバーを紹介!
飛信隊は実在した!?史実を辿ると信がキングダムの主人公になった理由がわかる!?
エリート「王一族」の跡取り
王賁は、王騎と同じ王一族の人間です。
「分家の王騎と違い、王一族の総本家を継ぐ王賁だ!」
と、あの王騎をも下に見る言い草…。
自分の生まれの良さに対するプライドを感じますね…。
仲間思いの一面も!
表向きはクールでプライドの高い王賁ですが、実は仲間思いの一面もあります。
仲間のためなら、死地にも飛び込む王賁の姿に感動した方は多いのではないでしょうか?
王賁の仲間思いな一面が見れるのは鄴攻略のときです!
- 番陽を助けに行く
- 関常を助けに行く
- 王翦を助けに行く
王賁をずっとサポートしてくれていた番陽を助けに行くのはわかりますが、
あまり関係性の良くなかった関常や王翦のために
命懸けで助けに行くシーンは感動的でした…!
(王賁と王翦の関係性に関する記事はこちらから→キングダム:王翦(おうせん)が王賁(おうほん)に冷たいのは本当の父親ではないから?朱海平原の戦いから考察!)
キングダム:王賁(おうほん)は実在の人物!
王賁は実在した人物でした!
父親が王翦であることは史実通りですが、王騎と同じ一族だったのかは不明です。
王賁の記録は、紀元前226年~紀元前219年の7年間しかありません。
キングダム最新話の話が紀元前233年の話なので、
これまでキングダムで描かれてきた王賁の活躍は
全てキングダムオリジナルストーリーになりますね!
キングダム:王賁(おうほん)の史実の功績は?
王賁の功績は以下の通りです。
- 紀元前226年:王翦と共に、燕・楚を攻める
- 紀元前225年:魏を滅ぼす(単独)
- 紀元前222年:燕を滅ぼす(李信と共に)
- 紀元前222年:代を滅ぼす(単独)
- 紀元前221年:斉を滅ぼす(李信・蒙恬と共に)
なんと王賁は戦国七雄の半分を滅亡させています…!
(戦国七雄についての記事はこちらから→キングダム:戦国七雄の滅亡順を徹底解説!!滅亡順は意外な順番だった?)
韓を滅ぼしたのは騰、
趙を滅ぼしたのは王翦・羌瘣、
楚を滅ぼしたのは蒙武という史実からも、
これだけ多くの国を滅ぼした王賁の功績がいかに凄いかがわかります!
特に魏を攻めた際には、黄河の水を使った「水攻め」により
首都・大梁を攻略するという奇策を取っています!
キングダムの王賁と同様、非情に頭の良い将軍だったのでしょうね!
キングダム:王賁(おうほん)の最期はどうなる?
王賁の記録は、紀元前219年が最後となっています。
始皇帝の東方巡礼に息子の王離と共に同行したのを最後に王賁は史実から姿を消しました。
この時の王賁の年齢はおそらく40歳前後だと思われます。
(紀元前238年に嬴政の加冠の儀が行われたので、紀元前219年の嬴政の年齢は41歳。
嬴政と王賁が同世代だと考えると、王賁の年齢は40歳前後だと推測できます。)
この頃、秦は既に中華統一を果たしているので、王賁の死が戦死ということはないはず…。
では、王賁はどのような最期を迎えたのでしょうか?
王賁は粛清された?
始皇帝の死後、朝廷の権力争いに巻き込まれた蒙恬は自殺に追い込まれています。
(蒙恬の自殺の詳細はこちらから→キングダム:蒙恬(もうてん)が死ぬって本当!?史実の内容から理由が判明!)
記録には残っていませんが、王賁も同じような目に遭ったのでしょうか?
王賁には王離という息子がいたので、
もし王賁が自害に追い込まれたとしたら、息子の王離も殺されているはず…。
しかし、王離は始皇帝の死後も第二皇帝に仕え、秦軍を率いて戦っています。
この史実から、王賁が蒙恬と同じ目に遭った可能性は低いのではないでしょうか?
王賁は恨まれ殺された?
王賁は多くの国を滅ぼしました。
滅ぼされた国の王家の生き残りや、幹部から恨まれていてもおかしくないですよね。
羌瘣が捕らえられた、趙の幽繆王は後に遠方の地に流されましたが、
王賁が滅ぼした魏・代・燕の王が、捕らえられた後どうなったのかは記録に残っていません。
(斉王は餓死したという説があります。)
このようなトップクラスの人間には、囲っていた食客がいたはず。
食客に依頼して王賁を暗殺させたのではないでしょうか?
ただ、王賁程の将軍が何者かに殺されたら、確実に騒ぎになると思います。
そして、息子の王離が黙っているはずありません!
となると、王賁が暗殺された可能性は低い気がします。
王賁は病死?
40歳を過ぎているのであれば、病死ということも考えられます。
秦の名将で「病死した」という記録が残っている人はいません。
戦死した桓騎と、自殺した蒙恬以外の将軍の最期は不明なのです。
「病死ではない死=記録が残っている」ということは、
裏を返せば、「記録が残っていない=病死」ということなのではないでしょうか?
キングダム:王賁(おうほん)は実在した!史実の功績が凄い!?最期はどうなる?まとめ
王賁の史実の功績を紹介すると共に、王賁の最期を考察しました!
王賁の最期をいくつか考察してみましたが、筆者は病死である可能性が高いと思っています。
最期の記録が残っていないのは、人がいつか死ぬのは当たり前で、
病死の場合、わざわざ記録に残す程のことではないと考えられていたからではないでしょうか?
キングダムで王賁の最期までが描かれるかはわかりませんが、
史実の功績から今後も活躍すること間違いなしです!
これからも王賁の活躍から目が離せませんね!
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