楽華隊を率いる秦国の将軍の蒙恬は信と王賁と並んで秦国王の嬴政からも活躍が期待されている秦国の有望株です。
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— T_c (@T_c1115) May 9, 2021
そんな蒙恬が「死ぬ」「死に方が無惨だ」とキングダムファンから言われています。
本記事では、蒙恬が一体なぜこのような事を言われているのか紹介していきたいと思います!
キングダム:蒙恬(もうてん)はどんな人物?
秦国の将軍であり楽華隊の隊長を勤めている蒙恬は、秦国将軍で務める蒙驁の孫で、同じく秦国の将軍を務める蒙武の息子という秦国屈指のエリート家系の跡取りとして生まれます。
見た目は女の子のような綺麗な顔に長い髪でとても蒙武の息子には見えません。
https://twitter.com/kyutaro1234/status/1447226851219312641?s=20そんな蒙恬の性格はお気楽でいい加減に見えるが、実際は超頭脳派であり、昌平君の軍師学校でも異例の早さで卒業しており、才能の高さが伺えます。
又人当たりもよく信と王賁の喧嘩の仲裁をしたり、信が千人将を斬りかかろうとするのを止めたりと仲間思いの一面を持っています。
蒙恬が率いる楽華隊の記事はこちらからどうぞ!
キングダム:蒙恬(もうてん)の実力は!?
山陽の戦い
秦国総大将蒙驁と魏国総大将白亀西が戦った山陽の戦い。
実質魏国は元趙国三大天、廉頗が指揮をとっており中央軍に配置された蒙恬は廉頗四天王の一人、輪虎が率いる中央軍と戦うこととなります。
圧倒的な輪虎の突破力に中央軍は苦戦を強いられます。
蒙恬は、楽華隊、飛信隊、玉鳳隊で共闘案を提案します。楽華隊が輪虎周辺の兵を削りそのあと飛信隊と玉鳳隊が輪虎本陣へ突撃し討ち取るという策です。
輪虎兵の精兵を楽華隊が潰し、敵の注意を楽華隊に集めることで飛信隊と玉鳳隊を輪虎の元へ到達させることに成功しました。
あと一歩のところで輪虎を逃してしまいますが、この策は多くの輪虎兵を削り輪虎の片腕を使えなくなる負傷を負わせることに成功した。
あの王騎将軍に一太刀浴びせたという格上の輪虎相手にも通用する策を案じた蒙恬に魅了されたファンも多いのではないでしょうか?
https://twitter.com/toriaki0912/status/1402523170989432836?s=20合従軍編 対楚軍
蒙恬が率いる楽華隊は騰軍所属となり臨武君率いる楚の一軍と戦う事になります。
自慢の突破力で録嗚未、鱗坊が臨武君の元へ到達しますが鱗坊は遠くから狙っていた白麗の弓矢によって打たれてしまいます。
白麗の弓矢にいち早く気づいた蒙恬は、この戦場における白麗は危険だと判断し即座に隊を二分させ白麗の元へ突撃します。
白麗を打つことは出来ませんでしたが負傷させ弓の脅威を退ける事に成功しました。
楚軍相手にあそこまで冷静に状況判断できる蒙恬の実力は相当の物だと思います。
キングダム:蒙恬(もうてん)が死ぬ!?
作中大活躍をし人気も高い蒙恬は一体どうなってしまうのでしょうか。
なぜ蒙恬(もうてん)は死ぬというワードが出てくるのか?
それは史実に関係しており、
キングダムの登場キャラの多くは本当に実在していた歴史上の人物だからです。
多くの歴史上の人物が登場するキングダム、史実で蒙恬は悲惨な死を迎えるのです。
史実での蒙恬
史実では蒙恬は法律を扱う文官として宮廷に入っていました。
紀元前225年、蒙恬の武将として初陣は李信軍の副将として加わり、楚の寝丘を攻めた時だと記されています。
紀元前221年、蒙恬は将軍になり李信、王賁と共に斉へ攻め込み斉を滅亡させる活躍をします。
紀元前215年、蒙恬は30万もの軍を率いて北方の匈奴という異民族を相手に奮戦しオルドス地方を奪います。
その後オルドス地方で蒙恬は万里の長城の建設に取り掛かったとされています。
これらの働きに始皇帝は大変満足し功績として認めています。
万里の長城
(China)
言うまでもなく有名な万里の長城
実はキングダムに登場する若き武将、蒙恬によって指揮が執られたことでも最近人気急上昇中
現在の総距離は約8900kmだがまだ見つかってないものや遺構も含めるとなんと5万kmに達するという説もあるそして今ではバイクで走れるという噂もあるそうだ pic.twitter.com/tHzUUNbKCH
— のぐちそら@世界遺産検定マイスター (@WORLD_INTRODUCE) June 10, 2019
まさかあの万里の長城建設に関わっていたとは。。。
アニメでも大活躍の蒙恬ですが、史実でもしっかり活躍していていかに優秀だったかが分かります。
蒙恬(もうてん)の死
順風満帆と思われていた蒙恬ですが紀元前210年、始皇帝が巡遊中に死んだことで秦でも権力争いが始まりそこから蒙恬の状況が一変してしまうのです。
始皇帝の死後、趙高と李斯は共謀して趙高がお守役をしていた始皇帝の末っ子・胡亥を新皇帝に即位させ自らの権力を握ろうと企みます。そして二人はなんと始皇帝の遺言書を書き換えてしまうのです。
元々の内容は「扶蘇を次期後継にし、蒙恬を秦軍を統率させる」よう遺書を書きますが、趙高と李氏は「扶蘇と蒙恬に自害を命ずる」と書き換えてしまいます。
蒙恬は監獄へ送られる事になり、胡亥から改めて自殺命令が届きます。使者に対して蒙恬は弁明を尽くしますが、使者は皇帝には連絡しないと蒙恬の言葉に聞く耳をもちませんでした。
これに対して蒙恬はやむを得ず毒を煽って自殺します。
https://twitter.com/xxnametakexx/status/983375994223341570?s=20蒙恬は自殺する際、何の罪もない私がなぜ死ななければならないのかと嘆きます。ただ長城を建設した事によって大地の地脈を絶ってしまったことが私の罪であると言い残し毒を煽って自殺する事になります。
遺書が自殺を命ずるなんてにわかに信じることができませんが、当時は本物と偽物を見分けることが出来なかったみたいですね。
キングダム:蒙恬(もうてん)の死亡理由とは!?史実からその死亡の壮絶な理由が判明!!まとめ
キングダム読者の私が、初めて蒙恬の死というワードを見たときは、蒙恬が死ぬのか!?とびっくりしましたがそれは史実での話でした。
キングダムと史実とある程度リンクしており史実通りであれば始皇帝死去の後の出来事なので、死ぬことはなさそうで安心しました。
アニメでは大活躍中ですので、今後も蒙恬の活躍には期待していきたいと思います!
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