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王翦が言っていた”李牧の弱点”とは?最大の弱点は〇〇の存在!?

中華最強の秦の中でも、最強の武将の名を欲しいままにしていたのは”王翦”でした。

キングダムの作中では、特徴的な仮面を常に被っており、「自分の国を作る!」と発言したり、親子である王賁との関係があまり良くなかったりと色々と”濃ゆい”設定”のキャラクターです。

性格はまさに我が道をいくような人物ですが、戦術に関しては対照的で、桓騎いわく”王翦は勝てる戦しかしない”というような慎重派で、堅実な戦いをする武将です。

キングダムの作中では、戦の最中に築城し、そこで籠るなどの奇想天外の戦術を発動し、負けなしの快進撃を続けていましたが、ついに番吾の戦いの戦いで負けてしまいます。

ちなみに史実では王翦が戦で負けたという記述はありません。そして、番吾の戦いでの総大将の記載も同じくないです。

番吾の戦いで総大将を王翦にしたのは、キングダムオリジナルということになりますね。

盛大に負けてしまった王翦でしたが、その後、明確に「あの男には弱点がある!」、「次は十中、十私が勝てる!」と部下に対して発言しているシーンがありました。

弱点があるなら最初から言えよ!そして、最初からその弱点つけよ!とツッコミたくなりますが、恐らく王翦自身、李牧とは正々堂々と戦いたいという気持ちがあったのでしょう。

今まで鮮やかな戦術で勝利を収め、秦の中華統一の大きな壁となっている李牧ですが、本当に弱点はあるのでしょうか?

弱点と思われる点が3つあります。それぞれ考察していきましょう。

李牧は宰相「郭開」に嫌われている

郭開は李牧とともに、趙で宰相を務める人物です。

ぶくぶくと太ったいかにも悪代官のような風貌をしています。

郭開は李牧のことを嫌っており、キングダムの作中でもひたすら李牧の悪口を言っているイメージがあります。実際の史実では、「李牧と司馬尚が反乱を企んでいる」と嘘の情報を趙王に流したことで、李牧は殺され、司馬尚は左遷されております。

二人の屈強な将軍がいなくなったせいで、なんとその5ヶ月後には、秦に趙は滅ぼされてしまうんです。

郭開は元・三大天である廉頗の再任用を阻止した

趙が窮地の際に、郭開は過去に趙の三大天の一人であった廉頗将軍の再任用も阻止しています。

廉頗は、かつての秦の六将が活躍した時代に対等に渡り合った怪物で、秦六将である白起、王騎の連合軍相手にも一歩も引かずに2年間長平を守りぬくなど、数々の武功をあげてきた将軍です。

あの李牧ですら、「中華に廉頗より強い武将はいない」と言うほどです。

それだけの傑物であったのですが、悼襄王とは馬が合わず不合理な命令により決裂し、亡命という形で趙を去ってしまいます。

その後、魏で武将として戦をしますが、兵の性格の違いからか大した功績を上げることはできず、そのまま楚に移り、引退という不遇の人生を歩みました。

そんな趙の英雄である廉頗でしたが、郭開とは犬猿の仲だったようです。

長平の戦いの最中に廉頗は悼襄王により、更迭されてしまいます。楽乗という武将が廉頗に変わる将軍となりましたが、この楽乗を廉頗自ら攻撃を仕掛け、敗走させてしまうんです。

廉頗はよっぽど更迭されたことが腹立たしかったんだと思います。

廉頗なき後、趙は秦に度重なる攻撃を受け、ダメージをくらっていたので、廉頗を一度呼び戻そうとしてるんです。

悼襄王は廉頗を呼び戻すために、使者を派遣していますが、その使者を買収したのは郭開でした。廉頗は趙から使者が来たことを喜び、馬に乗り駆け巡り、大量のご飯を食べ、健在ぶりをアピールしました。

しかし、郭開が買収した使者は悼襄王に「廉頗は食事はたいそう進むようでしたが、トイレに3回行った」と報告したそうです。

このトイレに3回行ったという報告は、3回失禁したと言った説もあります。

どちらにしても、「廉頗は歳をとり過ぎたので、呼び戻すべきでない」と判断させるような報告をしています。

使者は廉頗の大ファンで、郭開の買収の申し出を退けたという説もありました。

ただ、やはりその使者の”廉頗健在”の報告は、郭開の悪意によって間違って王に伝わってしまったとのことでした。

いずれにしても、廉頗復帰を阻止したのは、郭開で間違いはなさそうですね。

廉頗は晩年、「趙兵を用いたい」と言いながら、淋しく楚の首都である寿春で没したそうです。

史実で李牧を誅殺したのは郭開だった

廉頗を更迭した後、史実にはしばらく郭開は登場しません。

登場するのは、まさに趙が滅亡に近づいたころでした。

その時の趙の王は悼襄王から幽穆王へと変わっていました。

郭開はその幽穆王に対して、李牧と司馬尚が反乱を企んでいると嘘の噂を伝えます。その結果、司馬尚は平民に落とされ、李牧は自害となってしまいます。

当時は、屈強な秦との戦いの最中で、目の前に王翦、楊端和、羌瘣などの最強の武将たちがいる中での決断でした。

趙葱顔聚という将軍が李牧と司馬尚の代わりに将軍となりますが、結果としては5か月で秦軍にやられてしまい、趙は滅亡してしまうのです。

国を何度も救ってきた李牧をなぜこのタイミングで自ら失う選択をしたのか・・・・・

史書に載っていない以上推測するしかありませんが、幽穆王自身、李牧の有能さは知っており、だからこそ、もしかすると李牧は自分の立場を脅かすのではないかという疑念があったのかもしれません。

何度も武功をあげ、そして民衆や兵士からの信頼も厚い李牧が反乱を起こせば、おそらく王はひとたまりもないでしょうし、そんな李牧に恐れを抱いていたのかもしれません。

まんまとそれを郭開は利用したわけですが、趙にとっては悔しい結末であることに代わりないですよね・・・・

キングダムのストーリーでも、そのような事情を王翦は知っているので、郭開を買収し、李牧を失脚させることで勝利することができると考えているのかもしれませんね。

本来、仲間であるはずの身内にややこしい敵がいるというのは本当に苦しいですね・・・・

秦の攻撃何度も退け、まさに趙の守り神のような存在だった李牧を趙王自ら追放してしまうとは、本当に歴史は何が起こるかわかりません。

郭開については、こちらで詳しく記事を書いております。是非、参考にしてください!

郭開はもともと秦のスパイだったのではないか?

ここまで郭開について取り上げてきました。

色々と郭開について調べれば調べるほど、「秦に有利な働きしかしてなくね?秦のスパイじゃね?」と思ってしまいます。

国が窮地の際に、廉頗の任用を阻止したり、王にありもしない噂を流して、李牧を殺したり・・・・

本当に趙の宰相で、趙のために働いているのか?と思ってしまうような行動をしています。

ちなみにですが、秦が各国と戦いを繰り広げる中、秦の李斯は始皇帝に対して、各国の大臣に賄賂を送り、こちらに応じる者は内通させるように進言していたそうです。

この中華の戦国の世で、最強の秦が戦いを仕掛けてくるというプレッシャーに負けてしまい、「自分だけが助かればいい」と、秦からの内通の誘いに応じた大臣も少なくなかったんじゃないでしょうか?

そりゃ最強の軍団が攻めてくることが”わかって”いて、自国との戦力差を計算した結果、内通すれば、自分や家族は必ず助かるというのなら、迷ってしまうというのもわからなくはないですね・・・・

秦が中華を統一することができたのは、このような情報戦もうまく使うことができたというのもあるのではないでしょうか。

秦としては、貴重な敵国の内部の情報を知り、戦いを優位に進めることができる。

内通者としては、自分の身を守ることができる。

そこはウィンウィンの関係だったと言えますね。

もしかすると、郭開は秦のスパイだった可能性もありますね。

情に流されやすい性格をしている

李牧は側近の「カイネ」に対して好意を抱いております。

カイネはキングダムオリジナルキャラクターですが、史実上でも、李牧には子供は3人いるという記載がありますので、結婚していた可能性が高いです。

番吾の戦いでは、李牧がカイネに対して71巻で「番吾戦が無事に終わったら・・・・」と間接的にプロポーズを行なっていました。

カイネが桓騎軍に囲まれて、矢を受け、窮地に陥った時も、李牧自ら敵陣に飛び込み、救出に行くなど、趙の宰相という立場であるにも関わらず、自分の立場を投げ打ってしまうような情も持ち合わせています。

その他、趙の民衆を想う気持ちを表現するシーンも度々あります。

王翦にとっては、そこがつけ入る隙だと感じたのでしょう。

将軍のもとで働く兵にとっては、情に熱い将軍のもとで働く方が士気が上がりますし、強みでもありますが、難しいところですよね・・・・

秦の武将なのに、「自分の国を作る!」と公言している王翦とは、対極の武将ですね。

ちなみにカイネと李牧の出会いはご存知ですか?

カイネは雁門(匈奴(きょうど)と趙との激戦場)出身です。

雁門という名前は、雁門山は、左右の嶺が向かい合い門のようになっていて、そこを渡りの雁が

くぐりぬける様子から、雁門という風流な名前がつきました。

この雁門はかなりの要所で、北方の異民族を食い止めるための防衛拠点となっており、匈奴などの屈強な騎馬民族との間で絶えず攻防が繰り返されていました。

その戦いの回数はなんと1700回を超えるそうですよ!!

そんな中で生まれ育ったカイネですが、幼い頃に両親を匈奴に殺されてしまいます。その後、復讐に燃える女剣士となり、戦場で匈奴と戦っていました。

そこで、対・匈奴の武将として送り込まれてきたのが李牧とカイネは出会いました。

李牧は、かつてより、知略に優れた武将として名を馳せており、雁門での戦い方を変えるために、趙は李牧を送り込んだんですね。

李牧は雁門の戦では、徹底的に守りの戦略ばかりを取ります。

敵が攻めてきても、村人に対して自分の家を捨てて、砦に逃げ込むように指示をしたりと、「命を守る戦」をしていました。

その李牧の”戦わない”姿勢に対して、カイネは当初反感を買っていました。カイネ自身、「戦わないということ=敵に屈していること」だと考えていたんですね。

李牧もカイネと同じく、戦で両親を亡くしており、両親の仇を討つために無茶な戦いをして、多くの味方の兵を死亡させてしまった経験がありました。

そんな経験をしていたからこそ、「戦においては、命が最も重要」と考えるようになったのです。

その後、カイネも李牧と同じように感情に任せた戦い方をしたせいで、多くの味方を死なせてしまいます。

そこで、李牧はカイネに寄り添い、同情し、側近としてカイネを迎え入れることになったのでした。

李牧の勝ち方はワンパターンである

李牧は、簡単に言えば、「情報封鎖をする→奇襲を仕掛ける」このような戦い方を得意としています。史実とは違いますが、函谷関の戦いは李牧が各国に呼びかけて実現したものですが、珠海平原の戦いでは自ら囮になり、敵に大ダメージを与えていました。

遼陽戦では、相手の兵糧を焼き払ったことで、戦いを優位に進めていましたよね。

こんな感じで、李牧は情報戦が得意、かつ地形や地理、状況をうまく使って戦いを優位に進めます。

よく練られた策を使って敵をはめ、殲滅する。まさに策士っていう感じですね。

逆にいうと、策が使えないような場面に持ち込んで、力と力の真っ向勝負を仕掛けることができれば、李牧の持ち味を発揮することができません。

王翦は「勝てない戦はしない」と言われるほど、敵の戦い方をかなり分析するので、李牧の戦い方のクセも把握しているのではないでしょうか?

そこで、策が通じないような戦いに持ち込み、李牧の戦術を封じることで、戦いを優位に進めることも考えられます。

まとめ

  • 李牧は宰相「郭開」に嫌われている
  • 情に流されやすい性格をしている
  • 李牧の勝ち方はワンパターンである

以上の3点が王翦が考える”李牧の弱点”だと私は推測します。

実際の史実では、郭開によって李牧は自害に追い込まれてしまいます。

キングダムは概ね史実に沿ってストーリーを作り込んでいるので史実と同じく郭開のなんらかの動きによって殺されてしまうんじゃないかなあと思います。

郭開が内通者だとする史実はどこにもありませんが、王国を維持していくのは大変なんだなあと今回の調査をして思いましたね・・・・

何千人、何万人と自国の民が増え、抱える役人の数も増えればそれだけ管理することも大変になります。人が増えれば増えるだけ内通者もわかりづらくなりますしね。

自国の情報が漏れれば、安全が危うくなりますし、内通者によって誤った情報が王に伝われば今回の趙のように一気に国が滅亡してしまうのです。

誰を信用すればいいのかと王が疑心暗鬼になるのもわかるような気がしますね。

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