今日は”韓”について色々と学んでいこうか!
韓って函谷関の戦いでの成恢のイメージが強すぎるよね。
あの風貌といい、毒といい、本当にそうだね。笑
でも意外とそれだけじゃなくて、今後の秦の行く末を決めるような”ある人物”も韓の人だったりするんだよね。
え!めっちゃ気になる!
それじゃあ早速見ていこうか!
韓は戦国七雄の時代に”最弱”と言われていた
キングダムの作中では、函谷関の戦いや韓攻略編でお馴染みの国である韓ですが、みなさんどんなイメージをお持ちでしょうか?
きっと、さっきの会話でもあったように成恢のイメージが強すぎるゆえに、それ以外のイメージが乏しいのではないでしょうか?
韓は見出しにもあるとおり、”最弱”の国と言われていました。国の位置としては、戦国七雄(秦、趙、魏、楚、斉、燕、韓)のちょうど真ん中に位置し、趙、魏、秦と接しています。
そのことから、その三国の緩衝地帯として機能している面もあり、それぞれの国にとって重宝されている部分もあったので、秦が攻めてくるしばらくの間、本気で滅ぼそうとされることはありませんでした。
ちなみに、趙、魏、韓の三国はもとは「晋」という一つの国が分離してできたものであったため、友好関係もあり、攻められるたびに援軍を出していたとゆう説もありました。
国土は戦国七雄の中で最も狭く、人は少なく、そのためもちろん兵も少ない。そして軍事力は乏しいとあって、なかなか苦しい戦いを強いられていたようですね。
しかも隣国は中華でも最強を誇った秦ですから、プレッシャーは半端なかったはずです。そんな中でも、国として成り立っていたのは、魏や趙のおかげでしょう。
運命のいたずらなのか、配置と隣国との関係性によって生きながらえていた国といった感じでしょうか。
キングダムの作中では、函谷関の戦いで韓が合従軍に出した兵の数は5万のみで、圧倒的に少なかったです。まあ成恢の圧倒的ビジュアルのおかげでインパクトは最もありましたけどね。笑
函谷関の戦いで活躍した武将「成恢」は実在した?
函谷関の戦いと言えば成恢だよね!
彼って本当に実在したの??
なんと成恢は実は実在した人物なんです。
ただし、キングダムの時代より、100年ほど前に実在した人物であり、キングダムの作中に登場する成恢は作者である原先生が名前だけ利用した完全オリジナルキャラクターです。
函谷関の戦いに参加したとする史実もありませんし、毒を使ったということもないです。そして成恢が実在したと記録されている書物は史記ではなく、戦国策という書物でした。
ちなみに、実在した成恢は武将ではなく、文官だったようですよ。出身の国も異なっていて、韓の人物ではなく、魏の人物だったようですね。
作中では、
「毒の研究に明け暮れていた。国内のみならず、国外まで足を運び毒を仕入れては、研究を行っていた」
「毒の研究で100人以上が犠牲になった」
「かつては、男でさえ息を呑むほどの美男子だったにも関わらず、自らの毒の研究によって姿形が現在のようなグロテスクな形になってしまった」
などの、なかなかにヒドい人物設定になっていますが、これらはオリジナルの設定のようです。ただただインパクトが強すぎますよね。
ただ、史実の成恢はなかなかの策士でスマートな外交により、韓と魏を救っております。なので、頭の切れる、イケメンだったのかもしれません。
韓非について
冒頭で少年が話していた”秦の行く末を決めるような人物”というのがまさにこの「韓非」になります。
文字でわかるかもしれませんが、この韓非はかの有名な「韓非子」の作者になります。自分の名前をそのまま自分の書籍の題名にするってなかなかにすごいですよね。
史記によると、韓非は貴族の子として生まれたそうです。どもってしまったり、なめらかに話せない吃音であったが、書物を作る才能があったそうですね。
韓非は、性悪説(人間の本性は悪であり、努力や修養によって善の状態に達することができるとする説)を唱えた儒家である「荀子」にいろいろなことを学んでいました。その時の、同じ門下生に秦の宰相となった李斯がいました。
ちなみに李斯は当時から、”韓非の才能には敵わない”と思っていたそうです。この時はまだ李斯は一門下生に過ぎませんでしたが、彼自身も、最終的には秦の宰相にまで登り詰める男ですし、当時からかなり優秀だったはずです。そんな李斯でさえも敵わないと思っていたということは、いかに韓非が才能豊かだったかがわかりますよね。
韓非は、秦により圧迫を受けていた祖国である韓を想って、いろいろな策を提案しようとしたが、韓王は相手にしなかったそうです。
逆に、敵国である秦の始皇帝の方が、韓非の思想に感銘を受け、「韓非から意見を聞きたい」ということで、秦に招き入れたそうです。
おそらく秦の始皇帝は、韓非を重要なポジションに置いて、意見を聞こうとしたようですが、これに嫉妬した同門の李斯は、韓非に関してありもしないことを周囲に言いふらしたことで、投獄されてしまうのです。
李斯としては、韓非とは長い付き合いで、彼の優秀さもわかっていたことから、自分のポジションが脅かされると考えたのかもしれません。
結局、韓非は秦の獄中で服毒自殺してしまいます。
キングダムの作中では、韓非は韓のスパイで、スパイ容疑で投獄され自ら命を絶つという設定になっており、李斯はむしろ韓非の自殺を止めようとするシーンが描かれていますが、史実は違うみたいですね。
皮肉にも、この韓非の思想は、秦が中華を統一した際の指導的理論としてその後の秦に大きな影響を与えたそうです。
ちなみに伊藤沙莉さんが主演を務めた2024年前期放送の連続テレビ小説「虎に翼」という番組をご存知でしょうか?あの虎に翼という言葉も、実は韓非子から来ています。
ただでさえ強い力を持っている者に、さらに強い力が加わることの例えです。同じ意味を持つ言葉では、「鬼に金棒」があります。「日本書紀」や「宇治拾遺物語」などの日本古来の書物にも載っている表現です。
法律にのっとって判断をする法治主義や、良い行いをした人には褒美を与え、悪いことをした人には罰を与える信賞必罰の考え方は後の日本にも大きな影響を与えており、徳川幕府も韓非子の思想に影響を受けていると言われています。
韓攻略の史実は実際どうだったの?
キングダムでは、李信と騰の軍でまず南陽を攻め、それから韓の首都である新鄭を攻めることとなっております。南陽攻略編では、秦の軍が大軍であると見せかけて、南陽から韓の兵を首都の新鄭に引き揚げさせることで、無血開城となりました。
史実でも、南陽は秦に割譲されているので、実際に激しい戦闘は行われていなかったようですね。
むしろ、他の方が行った考察では、韓は自ら秦に対して南陽を明け渡しており、韓はすでに秦に降伏するつもりだったのではないかとしていました。
いくら趙、魏と友好な関係を築いているといっても、他国も自分の国を守らなければなりません。大国の秦が本気で滅ぼすつもりで侵攻してくるとするならば、他国を構っていられなくなるのも当然でしょう。
ましてや連合軍は一度、函谷関の戦いで敗北していますし、この時点で再度合従軍を結成するとは考えられないですしね。
南陽を得た後は、その後、新鄭に攻め入り、韓を制圧しています。
韓攻略についてはこちらの記事にも書いています。
秦に最初に滅ぼされてしまった韓でしたが、将来的には、韓の名族の生まれであった張良が劉邦とともに秦を滅ぼすことになります。
戦国の世は何が起こるかわからないものですね。
秦統治後の韓の反乱について
秦の圧倒的な軍事力の前に、敗れてしまった韓。
韓の名前は、潁川郡となり、秦の領地となります。
そして、韓の王である安は、秦に捕虜として捕まってしまいます。この王の捕縛によって、韓は滅んでしまうのですが、秦に統治された後、韓王安が亡くなってしまうような大きな反乱がありました。
反乱が起きた場所は新鄭でした。新鄭は、昔から交通の要所として栄えた大都市で、そんな大都市でプライドがあったからこそ、秦によって征服されてしまうのが受け入れられなかったのかもしれません。
韓の貴族たちが中心となって、秦に対して反乱を起こした記述が史記に残っています。
この反乱がきっかけとなって、韓王である安は処刑されてしまいました。
この処刑で、楚の旧都である郢陳の民が動揺したため、楚の公子でもある昌平君が当地へ送られ、楚の民を安撫するように命じられました。
※こちらの記事で昌平君について詳しく書いております。
戦国七雄の中で、一番面積が狭く、小さい国だとしても、国である以上は愛着もあるしね。
そんな自分たちの国が侵略されるのは、許せないよなあ。
本来、戦うような人ではない貴族たちが中心となって戦ったっていうのも気になるよね。特権階級だった貴族を平民に戻すみたいな極端な弾圧のようなものをした可能性もあるよね。
反乱に至った詳しい原因や、実際の戦いがどんなものだったか、なんかは史記などの書物に記載がないから、推測しかできないのが残念だね。
確かに・・・そう考えると、後世に伝えるために、歴史を書物に言葉でまとめる人ってかなりの重要人物だよね。考えようによっちゃその人の指一本で、間違った歴史を伝えることができるんだもんね。
そう考えると恐ろしいなあ・・・・・
韓軍の武将「洛亜完」は、”元・野盗”かもしれない?
韓軍側の武将として、「洛亜完」というキャラクターが登場します。韓軍の筆頭の武将ですが、このキャラクターはキングダムのオリジナルキャラクターとなります。
史記などの歴史書にも記載はありません。
間違いなく、キングダム韓攻略編で大きな役割を持つであろうこの洛亜完ですが、「何者なの?」と思った人も少なくはないでしょう?
この洛亜完が何者なのか?という疑問に対して、大きなヒントとなるシーンが過去にありました。
そのシーンは、洛亜完の顔を写したシーンです。
見てもらえればわかると思います。洛亜完の顔には入れ墨が施されていますよね?
この顔の入れ墨は、古代中国では「罪人に施されるもの」だったんです。
考えてみると、野盗出身の桓騎軍の雷土や、犬戎王ロゾの顔にもデカデカと入れ墨が施されています。
このことから、恐らく、洛亜完は野盗出身の将軍なのではないか?と私は推測しています。
ちなみにこの顔への入れ墨は、古代中国では、黥刑と言われていました。なぜ顔に入れ墨を入れるのかというと、一目で犯罪者がわかるようにし、一般人と区別し、犯罪予防に役立てるためだったと言われています。
ちなみにですが、この入れ墨の刑は日本でもありました。
江戸時代に、同じように罪人に対して入れ墨をする刑罰があったようですね。
ただ、なんでもかんでも「入れ墨=罪人」ということではなかったそうですよ。
最近ではネット上などで、「入れ墨=罪人だ!」などと、間違った知識を伝える人が多くなってきていて困る・・・・と彫り師の方がつぶやいていました。
その方によると、罪人に施す入れ墨は、「✖︎」や「犬」、「線を引く」などの絵柄とは程遠いものだったそうで、あくまで罪人と一般人とを区別するための”記号”であり、ただの”印”に過ぎなかったようなのです。
じゃあその他の入れ墨はなんのためにあったの?と言いますと、消防士や大工、歌舞伎役者の体に綺麗な入れ墨が施されていたそうです。
それはそれは綺麗で美しい、まさに芸術と言われるような絵柄が描かれていたそうです。
なんのために、彼らの体に入れ墨があったのか?それは現場で殉職してしまった際に、誰かを判別することができるようにするため、そして、彼らの我慢強さや、費やしたお金、時間などのステータスを示すためだったそうです。
彼らの「想い」がしっかりと込められたものが「入れ墨」であり、それはそれは綺麗で、まさに芸術だったみたいですね。まさに「粋」という言葉がピッタリです。
そのような罪人の入れ墨と芸術である入れ墨を一緒にして欲しくないという想いが、この彫り師の方にはあったのかもしれませんね。
彫り師の方も、自分の仕事にプライドを持って一生懸命仕事をしているのに、自分の作品を「罪人の証だ!!!」なんて言われるのは傷づくよね。
確かにそうだね。入れ墨にそんな歴史があったとは本当に知らなかったよ。
ちなみにだけど、調べてみると、鳶や飛脚が服を着ないでふんどし一丁で仕事ができるように、地肌に入れ墨を入れたり、北海道や奄美諸島では、女性が通過儀礼として、手などに紋様を入れたりなど、色々と入れ墨を入れる文化はあったみたい。
それらも、いろいろな「想い」があって入れているから、入れ墨に対して批判をすることはできないね。
確かに・・・・そうだね。
まとめ
- 韓という国について
- 個性的な将軍である「成恢」について
- 秦に大きな影響を与えた「韓非」について
- 韓攻略の史実、韓の反乱について
- 洛亜完について
秦が中華統一を行う上で一番最初に侵略した国である「韓」についてまとめてきました。今回もいろいろな発見がありましたね。
キングダムは史実に添いながらも、ストーリーが面白くなるような絶妙な設定があるキャラクターが登場します。そのあたり、作者の方は本当にすごいなあと思ってしましますね。
キングダムの次の展開が楽しみすぎますね!
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